日本の音楽には、エネルギッシュでキャッチーな楽曲が多くありますが、その一方で、静かな時間に寄り添い、心を癒してくれる音楽も数多く存在します。こうした楽曲は、忙しい日常の合間に心を落ち着かせてくれる「Chill Music」として、新たな魅力を発信しています。
本記事では、「Chill Music Japan」をテーマに、静けさや癒しを感じさせる日本の音楽をいくつかご紹介します。選曲は私自身の好みに基づいているため、少し偏りがあるかもしれませんが、そんな主観的な楽しみ方こそが音楽の醍醐味だと思います。ぜひ皆さんも自由な視点で楽しんでみてください。
記事の最後には、今回紹介する曲をまとめたSpotifyプレイリストをご用意しました。お気に入りの時間にぜひ聴いてみてください。
細野晴臣:『薔薇と野獣 – New ver.』
「薔薇と野獣」は、彼の1stアルバム『HOSONO HOUSE』に収録され、1973年に発売されました。その後、2019年3月に発売された『HOCHONO HOUSE』では、「薔薇と野獣」が新たに録音され、現代の解釈で生まれ変わりました。このアルバムは、オリジナル版『HOSONO HOUSE』を新たに録音したものです。
細野晴臣の『HOCHONO HOUSE』制作過程に関するインタビュー記事も非常に興味深い内容です。驚いたのは、細野さんが制作中にモーニング娘。、エド・シーラン、テイラー・スウィフトといったアーティストの音楽に感化されたエピソード。こうした現代の音楽に触れている姿は意外でありながら、音楽の探求者としての姿勢が素晴らしいと感じました。
それにしても、歌声がほんとうに好きです。オリジナル版の頃と比較すると、声の出し方や響きには大きな違いがありますが、それも50年近くという歳月を経て培われた表現の深みなのだと感じます。一音ごとに時間の年輪が刻まれているようで、聴くたびに心に深く響きます。
泉まくら:『いのち feat. ラブリーサマーちゃん』
泉まくらのラップスタイルがとても好きです。力強い言葉で貫くようなラップももちろん魅力的ですが、この曲で彼女が見せる柔らかく丸みを帯びた日本語のラップには、新たな可能性を感じます。まるで日常のささやかな瞬間をすくい取るような繊細さがあり、誰かとのちょっとした会話や道端で目にする言葉――そんな日常のかけらが、静かに歌詞の中に溶け込んでいます。その結果、まったりとした落ち着きと、どこか心がほっとするような空気感が広がります。
一見すると、歌詞は日常の風景にインスパイアされたように思えますが、その根底には「生きる」という芯の強いテーマがしっかりと根付いています。この歌からは、自分の体で生き抜いてきた日々をすべて肯定し、これからの未来も力強く歩んでいくというメッセージが伝わってきます。
さらに、ラブリーサマーちゃんの声が加わることで、この曲の魅力は一層引き立ちます。彼女の柔らかで軽やかなボーカルが、泉まくらのラップに寄り添い、心地よい調和をもたらしています。
HOTEL DONUTS:『コンビニエンスボーイ 』/ TOSHIKI HAYASHI(%C) × maco marets × さとうもか × 山田大介
さとうもかの甘く柔らかな声のラップを中心に、男女のラップが繰り返される構成が印象的な一曲です。淡々と語りかけるようなそのスタイルがとても心地よく、この曲の大きな魅力になっています。
この曲は「インソムニアガール」という楽曲と対を成す関係にあり、どちらも同じEPに収録されています。どちらの曲も、決してハッピーとは言えない恋愛関係をテーマにしていますが、それでも「これでいいじゃないか」と自分に言い聞かせながら、安心と不安の間を行き来するような繊細な精神状態が描かれています。その姿は、聴き手に共感を呼び起こすと同時に、考えさせられるものがあります。
「他者に対して言えなさ」がある一方で、「言いたいことを全部言えるようになったら、恋愛は消えてしまうのでは?」といった漠然とした疑問も浮かんできます。それでも、そんな内省的な問いを超えて、さとうもかをはじめとするパフォーマンス陣の心地よい声とメロディーが、聴く人の心を優しく包み込んでくれます。
坂本慎太郎:『ツバメの季節に』
2020年12月、コロナ禍真っ只中にリリースされたこの曲。当時、多くの人が抱いていたであろう「これからどんな未来が待っているのだろう?」という不安や期待が、この楽曲には表現されています。しかし、曲調は暗さを感じさせるものではなく、むしろ軽快で心地よいもの。私自身、この曲を定期的に聴いて癒されている一人です。
実を言うと、私がこの曲と出会ったのは、コロナ禍が過ぎ去った後でした。そのため、当時の状況を反映したというよりも、季節が移ろい、冬を越えてツバメが日本に渡ってくる春を待ちわびる気持ちとして受け止めました。こういった心境は、時代や状況を問わず、人々の心に普遍的に存在するものだと思います。
その意味で、この曲は特定の時代や状況に限定されず、もっと日常的で、季節の移ろいや心の中にあるささやかな期待感と、それに伴うほんのりとした不安感――そんな相反する感情が入り混じる瞬間を歌った作品のように感じられます。
羊文学:『白河夜船』
「白河夜船」(しらかわよふね)は、熟睡して何も気づかないさまや、知ったかぶりする様子を表すことわざです。この曲は、日本映画『白河夜船』をイメージして作られた作品です。映画は2015年に若木信吾監督が手掛けたもので、原作は1989年に発表された吉本ばななの小説です。
眠りをテーマとしたこの作品は、映画館の暗闇で観ていると、まるで主人公と一緒に眠ってしまいそうなほど静かな音響設計が特徴です。衣擦れの音や洗濯機の回る音、遠くで聞こえる電車の音などが響く中、音楽はほとんど使われていません。レースカーテン越しの淡い光、ベッドサイドの弱々しいライトの明かり、そして休日の夕方に目覚めたときの何とも言えない屈辱感――そういった感覚が、この曲の雰囲気に織り込まれているように感じます。
想い人に思いを馳せながら、ひたすら眠気に抗えず、それでもお腹は空く――若い頃の時間を持て余した休日のけだるさが、そのまま歌詞に表現されているようです。音数を抑えたアコースティックギターの響きが、このけだるさに絶妙に寄り添っていると感じました。この曲については、THE FIRST TIMESのインタビュー記事でも語られているので、ぜひチェックしてみてください。
君島大空&塩塚モエカ:『サーカスナイト』
羊文学つながりでもう一曲。『サーカスナイトは』もともとは七尾旅人が2012年にリリースした曲で、その後、君島大空(きみしま おおぞら)が羊文学の塩塚モエカをボーカルに迎えてカバーしました。この2人は、アーティストが一発撮りで楽曲を披露する日本の人気YouTubeチャンネル「THE FIRST TAKE」でも共演しているので仲がいいんでしょうね。君島大空が高校時代に羊文学のライブを観に行ったのをきっかけに10代のころから交流があるようです。
この曲は聴いていると、まるでサーカスのテントの中に引き込まれるような、不思議で特別な感覚が広がります。非日常の空間が音楽を通して目の前に広がり、この曲が持つ独特の感情を感じられるようです。
恋愛をサーカスの綱渡りに例えた歌詞は、夢と現実の狭間をさまよっているかのようで、さらに言えば、さまよい続けたいという願望すら感じさせます。その特別さは、何度聴いても心に残る力を持っています。
SEKAI NO OWARI:『陽炎』(かげろう)
この曲には2つのバージョンがあります。バンドのフロントマンであるFukaseがボーカルを担当したカバーバージョンと、オリジナル版で作詞作曲およびボーカルを手掛けた、バンドではピアノを担当するSaoriバージョンです。どちらのバージョンも甲乙つけがたい魅力を持っていますが、今回はオリジナル版を紹介します。
元々この曲は、2022年3月にリリースされたアルバム『scent of memory』に収録され、Saoriが歌っていました。その後、2022年6月22日に発売されたシングル『Habit』にFukaseによるカバーバージョンが収録されます。異なる表現方法で歌われた2つのバージョンが、それぞれの魅力を持っています。
Fukaseがこの曲について日本の音楽雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」の取材で語った内容が印象に残っています。私がこの記事を読んだのは2年以上前なので記憶が曖昧ではありますが、彼は「この曲が本当に好きで、いつか自分のボーカルでカバーしてみたい」と考えていたと話していました。そして、「自分はボーカリストとしての経験を重ねてきたから、申し訳ないがオリジナルを超えさせてもらうつもりでレコーディングに挑んだ」と語りつつも、「実際には、この曲が持つ特別な感覚を超えることの難しさを感じた」といったニュアンスの発言もしていました。その言葉には、オリジナルが持つ儚さや独特の魅力に対する深いリスペクトが込められていたように思います。
確かに、オリジナル版には独特の儚さや、感情を抑えながらも深く響く歌い回しがあり、聴く人を惹きつける不思議な魅力があります。さらに、彼女自身が作り出した言葉を自ら歌うことで、その表現には自然さと説得力が生まれているように感じます。
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